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『ラカン 鏡像段階』福原泰平
 ラカンとりあえずの区切りをつけるべく取り組んでみた。この本も昨年途中まで読んだ形跡があるが、挫折している。しかし今回はさすがに三冊読んできているだけに、ある程度は分かりながらぎりぎり読み終わった。特に『ラカン』(フィリップ・ヒル)に助けられた部分が大きかった。少し馬鹿にしていたがすまん。
 何度も同じことを表現を少しずつ変えながら書かれているようで、冗長な気もするが、これもラカン的なのか。
 人間は生まれ落ちたときに、本来の自分を失い、その代わりに言語(象徴界)を受け入れた。したがって主体なんてものはないんだが、それをずっと求め続けていかなければならない。象徴界を受け入れ損なう(去勢を受け入れ損なう)と、精神病になってしまう。
 というふうにまとめると、あまりに元も子もない、というか、まとめきってもいないような気もするが、そんなところか。
 
 主体は自我という幻想の中に眠り込んでいてはならず、幻想の場所から目覚めて、自らそれがそれであったところの場所へと向かわなければいけないと(ラカンは)いう。(p233)
 
 精神分析とはたぶんそのためにあるんだろうなあ。精神分析を受けないとしても(たぶんしばらくは受けないと思うけど)、「自らそれがそれであった場所へ向か」う努力はしていかないといけない。そのかたちは精神分析だけではなくて、いろいろあるはず。ただ、それは自分探し、といわれているのとはちょっと違う。あれは結局どうやって社会で生きていけばいいのかという仮面探し、自我探しであるにすぎないんだろう。もうすこし根源的で、しかも出会ってみると身も蓋もないような、自分の場所。それをさがして、きっと見つかることはないのだろうけど、その運動の中で自分の限界やら身の丈やらを確認していく作業。それを私も続けていかなければならないんだろう、と漠然と思いました。あまり唯物論的ではないな。
 
 とりあえずラカンはしばらくお休み。また機会があったら戻ることにします。
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2007年03月21日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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