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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子(朝日出版社)
 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変~日中戦争、太平洋戦争それぞれの戦争を行う決断へ向かった背景を学生との対話形式で描いた本。
 戦争は悪だ、というよくあるパターンの思考形式から書かれているわけではないので、風通しがよい。
 松岡洋右は例の国際連盟脱退のイメージしかないけど、そこに至るまで非常に理性的な思考、行動を行っていたことが触れられていて、自分がいかに近代の歴史を知らないか思い知らされた。
 1930年代から軍部があれだけ力を持っていったか、という問いに対してこれほどシンプルな答えがあるとは思わなかった。

 社会民主主義的な改革要求は既存の政治システム化では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったのです。(p4)
 
 なるほど。これって常識なのかもしれないけど、ばかな私はぜんぜんしらなかった。
 こんなことを「はじめに」で言われると、一気に引き込まれてしまう。まさにこれは「現代」じゃないですか。
 国際連盟や他国と日本の関係をこれだけきちんと押さえた歴史の入門書ははじめて読んだかも。
 歴史の本は著者の認識の中で記述、構成されていくから、事実が書かれているのにもかかわらず著者の考えとうまくフィットできないとなんとなく息苦しくなっていくことが多い。
 この本は対話形式を使っていることもあるし、他国視点が豊富な資料でわかりやすく書かれていることもあるからそういう閉塞感をうまく逃れているような気がする。
 世界の見方を変えるのが書物の役割のひとつとするならば、この本はその意味ですばらしい。
それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
(2009/07/29)
加藤陽子

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2010年05月07日 | | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『考えよ!――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』イビチャ・オシム(角川ONEテーマ)
 オシムはJEFの監督の頃から大好きだ。
 オシムの本はいくつか出ているが、この本はオシム本人が一応書いた体裁となっている点で、私がこれまで読んできたオシム本とは異なる。
 前半は日本代表へのアドバイスみたいなものを含めた2010ワールドカップの話。
 後半は日本サッカー全般への提言。
 スポーツの監督が書いた本だと組織論やら日本人論についての記述がスポットライトを当てて紹介されるものだが、せっかくなのでその辺を紹介してみる。

 私も、時折「日本人の無関心」を感じたことはある。負けることをまるで仕事の一部のように捉え、敗戦に慣れてしまっているのだ。
 日本人は、ドイツ語で言う「BISS(噛み付く)」、英語で言うなら「LAST KICK(最後の一蹴り、最後の意地)」と呼ばれるものを持っていないように見える。それは競争社会を勝ち抜こうとするための意地やプライドであり、人間的な迫力と言ってもいいのかもしれない。(中略)
 サッカーの世界では、負けることを何とも思わないような選手には用がない。だが、日本人は、どうも負けることの悔しさを正面から受け止めない。それが美徳だと勘違いしているようだ。(P150)


 ごもっとも。日本人と一括りにするのはやめたいが、少なくとも自分は負けず嫌いな割には、負けたときにそこから逃げてきた。とはいえ、これを「いき」と感じている部分もあって、難しいところなんだよねえ。

(日本サッカーは)ランニングとプレーのビルトアップにおいて組織化する訓練も足りていない。計画通りにゲームが進まないと選手はナーバスになって忍耐力を失いがちになる。すぐに作戦に対する技術的アドバイスなども忘れて、ずるずると負け始める。たとえ負けるはずのない状況でも理性を失ってしまうことがある。
 私なりに日本の歴史をふりかえると、神風特攻隊作戦などが行われた太平洋戦争においては、恐るべき訓練と自己鍛錬を要求されたに違いない。そういうディシプリンは本来、日本人の美徳だったはずだ。しかし、私が代表監督の時代には、彼らはサッカーにおいてディシプリンを欠いていた。決定的なミスを犯すのは、そのせいだった。(p103)
 規律正しい、と言われる日本サッカーに対してはこの批評は意外だが、的を射ている。苦しい場面こそ粘り強くならなければならないのに、すぐにあきらめてしまうのだ。これも日本人と言うよりは私じしんの話だが。依存心が強すぎるのか。

 耳の痛い話も多いが、それはそれとして、たとえば中村俊輔と本田のどちらか一人しか使えないのであれば、古い井戸(中村)に水があるのに新しい井戸(本田)を掘るのはやめた方がいい、なんて話がとてもおもしろいのだ。
 人生論というよりはやはりサッカーの本である。
 かえすがえすもオシム監督でワールドカップに行ってほしかったなあ、と思ってしまう。
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
(2010/04/10)
イビチャ・オシム

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2010年05月05日 | | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『東京島』桐野夏生(新潮文庫)
 桐野夏生の小説を読むのはこれが初めてだ。谷崎潤一郎賞を取ったのは知っていたし、孤島に女一人と男が数十人というシチュエーションの小説だということも知っていた。
 どちらかというと谷崎賞を取ったからというよりは、「孤島には31人の男とたった1人の女」(文庫版帯)という状況があまりにエロく、正直言ってやらしい興味が優先して手に取った。
 文章は私の知っているところでは村上龍に似ているのかもしれない(最近の村上の小説は読んでいないけれど、少なくとも『イン・ザ・ミソスープ』あたりと)。描写は的確である。
 前置きもなく、いきなり「孤島には・・・」という状況から始まる。やらしい興味を持って読む人間には望ましい。しかしすぐ気分が悪くなってくる。孤島に置かれた者の描写があまりにもリアルで、その結果、自分のあさましい面を見せつけられているからだ。
 当然この状況であればゆくゆくひどいことになるのに決まっている。都会でかっこよく振る舞っている人(それは自分でもある)が露骨に本性を出していく。大昔に読んだ『蝿の王』を思い出す。気が滅入る。
 桐野は島の人間のうち、女性の主人公清子をはじめとした何人かをひたすら描写していくが、描写しきることによって気持ち悪さが消えていく。文庫本の解説にも「新たな創世記」とあるが、物語は神話化されていき、登場人物が神話の登場人物となっていく。
 暴力が物語を支配するわけではなく、むしろ宗教やユーモアが満ちてくる。
 図式的に神話を当てはめたわけではない。
 極限状態にある卑小な人間をひたすら描写し続けると神話化される。
 このあたりも村上龍の小説とよく似ている。
 したがって残念なことにこの小説はあまりエロくはない。
 いったいどこへ行ってしまうのだろう、と途中からこの世界に入り込まざるを得なくなる。
 最後はきちんと結末に導いてくれる。
 オチがない方がきっと純文学っぽいのだろうけれど、ここまで書ききらないとこの物語は終わらなかった。
 とりあえずサバイバルの勉強はひととおりしておくべきである、と強く思った。
東京島 (新潮文庫)東京島 (新潮文庫)
(2010/04/24)
桐野 夏生

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2010年05月04日 | | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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