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『フリアとシナリオライター』マリオ・バルガス=リョサ 野谷文昭訳(国書刊行会)
 とにかくおもしろくて、ひたすら読んだ。
 ラテンアメリカ文学といえば、ガルシア=マルケスなどのこってり風味の難解さがまず連想され、バルガス=リョサも同じかな、と思っていた。
 この小説は読みやすい。それでいて知的で、ロマンティックで、下世話で、とにかくおもしろい。
①18歳の「僕」が32歳バツイチのフリア叔母さんと恋に落ちる話。
②「僕」が勤めるラジオの系列局にやってきた天才シナリオライターが作る「ラジオ劇場」。
 この二つが交互に進んでいく。
 どちらの話もおもしろいが、基本的に一話完結である「ラジオ劇場」のストーリーのどれもがぐいぐい惹きつける。
 だから、ふつうの小説を読むよりもいろいろな物語を小鉢に出してもらった感じで、おなかがいっぱいになる。
「ラジオ劇場」はそれぞれの回が独立しているはずなのだが、そのうちその世界が壊れだし、混濁しはじめる。
 その壊れ具合がまたおもしろい。
 別の話が交互に進んでいくというと、すぐ連想されるのは村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』である。
 この小説においては『世界の終り・・・』と違って①と②の話は関連性がないはずだが、①の中で②の話題が語られることにより、つながっていく。
 シナリオライターの末路は少しさびしいけれど、「僕」の陰の部分なのかもしれない。
 その意味ではやはり『世界の終り・・・』と同じ構造なのだろう。
 とにかく読みやすくて、エンターテイメント的だけれども、読む楽しみを与えてくれる、ひじょうにお薦めの小説です。
フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)
(2004/05)
マリオ バルガス=リョサ

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2008年10月29日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『西瓜糖の日々』R・ブローディガン(河出文庫)
 不思議な感じだけれど、懐かしい世界を描写した小説。
 詩みたい。
 読むとっかかりがないとうまくはいっていけなかったので、柴田元幸の解説を読んだら、ある程度合点がいった。

 もっというなら、これはほとんど死後の世界のように思える。「過度の感じの不在」ということを訳者の藤本さんもあとがきで指摘しているが、週に一度、「黒色の、無音の西瓜」の日があるなどという事実を抜きにしても、ここの描かれている世界は、あたかももうすべてがすでに死んでいるかのように、静かで、ひとまずは穏やかで、おっとりとひそやかだ。(p204)

 村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の『世界の終り』の世界のしんとした雰囲気に近い。
 ただ、違うのは、この世界には怒りや血やセックスが入り込んでいることで、逆にそういうものが入り込んでいることに違和感を感じはじめるくらいなのだ。
 穏やかな空間(「アイデス」)と邪悪な空間(「忘れられた世界」)が空間的に対比されるけれど、穏やかな空間は邪悪な空間があるからこそ成り立つ、と言っているようにも思えた。
 
 加藤典洋が『考える人』No.24の座談会でこんなことを言っていた。

 翻訳の文体が日本の文学を生み出すことだってある。誰かがもう言ってると思うけど、村上春樹と高橋源一郎を生み出したのは、ブローティガンの藤本和子訳だと思うんですよね。カード・ヴォネガットという存在もあるけれど、藤本和子の翻訳文体の驚きは相当大きかったと思う。

 たとえばこんなところはほとんど『さようならギャングたち』であるように思えた。

 私が誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。私は決まった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ。
 たとえば、ずっと昔に起こったことについて考えていたりする。――誰かがあなたに質問をしたのだけれど、あなたはなんと答えてよいかわからなかった。
 それがわたしの名前だ。
 そう、もしかしたら、そのときはひどい雨降りだったかもしれない。
 それがわたしの名前だ。
 あるいは、誰かがあなたになにかをしろといった。あなたはいわれたようにした。ところが、あなたのやりかたでは駄目だったといわれた――「ごめんな」――そして、あなたはやりなおした。
 それがわたしの名前だ。(p13)
西瓜糖の日々 (河出文庫)西瓜糖の日々 (河出文庫)
(2003/07)
リチャード ブローティガン

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2008年10月24日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『たしアナベル・リイ総毛だちつ身まかりつ』大江健三郎(新潮社)
 続いて大江健三郎の小説で、買ったまま積んであったこの本を読んだ。
『さようなら、私の本よ!』に較べると小振りな小説だが、もちろん語り口はいつもと同じ私小説に似せたもので、読む快楽に浸れる。
 しかし、『さようなら・・・』よりも暴走の具合が少なくて(他の純文学小説と較べたらむちゃくちゃなんだけど)、ちょっと物足りない。
 関係ないけど大江健三郎の小説を読むと「具合」とか「様子」という単語が頻出するので、ちょっと影響されてしまう。
 タイトルはエドガー・アラン・ポーの詩の一節の訳(日夏耿之介)から来ているのだが、私にはあまりにも格調が高すぎて訳のほうがよくわからない。
 原文の方がまだ分かる気がする。ひじょうに貧しい英語力なのだが。
 日本人としてどうなのよ、と思わずにはいられない。
 それはともかく、今のところ、この小説が大江健三郎の最新作だが、もっととんでもない本が出てきそうで心配で楽しみである。
 前作と同じなのは老人である、という「私」だけではなく、同じ老境に差し掛かった友人たちと二人組、三人組を組んだときに物語の力としてとんでもないパワーを持つということだ。
『オン・ザ・ロード』でも語り手の僕とかっとんだディーンの二人組だったし、考えてみれば『ドン・キホーテ』も二人組か。
『ロング・グッドバイ』もそう言えるかもしれない。
 私が自我についてあーだこーだ言っているだけの話ではないのが仕組みとしておもしろいのかもしれない。
 いずれにせよ、久し振りに読んだ二作で改めてこの人はすごい小説家なのだ、ということを思った。
臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ
(2007/11)
大江 健三郎

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2008年10月22日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『さようなら、私の本よ!』大江健三郎(講談社)
 大江健三郎は『ピンチランナー調書』を高校を中退してぶらぶらしているときに読んでから、新刊が出るたびに買って読み続けてきた小説家だ(ただし小説に限る)。
 この本も三年前にすぐ買ったのに、まったく読めないまま今に至っていた。
 ということで、大江さんの小説は久し振りに読んだんだけど、読みやすい。
 もちろんずっと大江さんの小説を読み続けてきているので、慣れている、ということはあるけれど、昔よりも読みやすい文体になっているみたい。
 それに、書くものが「小説」になるようにできているようだ。
 志ん生が話すと「落語」になってしまうように(比喩がおかしいかも)。
 あいかわらず私が読んだこともない詩や小説やその他もろもろの引用が散りばめられているけれど(それはそれでよいのだ)、物語としては「老人」の小説といいながら思いきり過激で、たぶん若い小説家でもこんなことは書けないな、というぶっ飛び方。
 9.11のあとに国家にテロを計画する、ということを真剣に考え、実行していってしまうのだから。
 あまりのぶっ飛びかたに最後はついて行けなくなったけれど。
『洪水はわが魂に及び』という大江さんの小説のパロディみたいに感じた(小説内にも『洪水は~』への言及はある)。
 食べ物や酒について、あいかわらずおいしそうに書く人である。
 ついでに思いついたこと。
 私は通常「描写」というのをすっ飛ばして読んでいる。
 ふつうの小説はこのセンテンス(パラグラフ)は風景描写、こちらは感情描写、こちらは会話、と分かれているんだけれど、この小説はその辺が渾然一体となっていて読みやすいのに描写もいつのまにか読まされている気がする。
 検証してませんが。
 文章を読む快楽、ということでは私にとっては屈指の小説家です。
さようなら、私の本よ!さようなら、私の本よ!
(2005/09/30)
大江 健三郎

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2008年10月21日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『時をかける少女』細田守監督
 大林宣彦版をリアルタイムで映画館で見た世代としてはアニメは見づらいところだったが、評判がいいので見た。
 これはよかった。
 大林版がいいと言っても、若いときに見たものは素晴らしいと刷り込まれているわけで、このあいだもう一度見たところ、どうなんだろう?と首をかしげる場面も多数。
 細田版は設定が大林版の20年後ということになっているらしく、筒井康隆の小説とはまったく関係がない。タイムリープの話題を除けば。
 小学生の頃小説版を読んでどきどきしたわたしとしては、映画になってもあの別れの場面がきちんと描かれてどきどきさせてくれればそれでいいのだ。
 この映画はそれがきちんと描かれている。
 ネット上の評価をぱらぱら見ていたら、タイムリープによってひどい目にあった同級生に対する視点がないから許せない、みたいなことを書いてあるものもあったが、高校時代なんてそんなものでしょう。
 とりあえずじぶんのことがすべてであって、というよりもじぶんのことや恋愛のことばかり集中して考えられるのが高校時代なのであり、それが活き活きと描かれているのがすばらしいなあ、とすっかり枯れ果ててしまった私は思うのでした。
時をかける少女 通常版時をかける少女 通常版
(2007/04/20)
仲里依紗石田卓也

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2008年10月19日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | 映画 | Top↑ |
『オン・ザ・ロード』ケルアック 青山南訳(河出書房新社)
 昔、河出文庫でまったく読めなかった。
 豊崎由美さんが新しく出た青山訳を絶賛していたので手に入れて読んでみた。
 すっごくおもしろい。
 車でアメリカを何度も何度も横断する話。それだけなのに。
 ぶっ飛んだ、ほとんど気の狂った人物ディーンとそれに引きずられるようについていく語り手のサル。
 読む進んでいくうちにディーンが変にまともに思えてきて、常識的な生活をしていて彼を批判する奴らの方が異常に思えてくる。
 ロードを突っ走っているときは何もかもが美しい。
 しかし立ち止まり「生活」が始まるとなにかが澱む。
 だからまた突っ走りはじめる。
 突っ走っているだけでは生きられない、ということをきちんと描いているから説得力がある。
 ロードでの出会い、別れ。
 あとくされがないのがかっこいい。
 文体もかっこいい。
 ひとつひとつの文章の間がかっとんでいて、詩に近い部分もある。
 アメリカ横断の長い旅につき合っていくと、その文体がわたしの中に入り込んでくる。 どこもかっこいいんだけど、例としてこんなの。

 ぐるりと曲がったポーチのあちこちでドアがひっきりなしに開いた。アメリカの夜のなかで悲しいドラマを演じる面々がしょっちゅう出たり入ったりしてみんながどこにいるのか確かめているのだった。そのうち、僕は一人で堤防まで歩いていった。泥の堤に座ってミシシッピ川をじっくり眺めたかったのだが、その代わり、金網に鼻を押しつけて川を見ることしかできなかった。人間を川から切り離していったい何が得られると思っているのか?「お役所の仕事よ!」オールド・ブルは言う。カフカを膝にのせて座っている。ランプが上で燃えている。鼻を鳴らす。スッファン。やつの古い家がきしむ。モンタナ州から流れてきた丸太が夜の大きな黒い川のなかで転がる。「官僚どものお役所仕事よ。それと、組合だ!どうしようもない組合!」しかし、黒い笑いはきっとまた轟くのだ。(p206)

 読み進めていると、アメリカの地理についても勉強になる。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」で出てきた街が懐かしい。
 メキシコにも行ってみたいものだ。
 スケールは小さいが、車をぶっ飛ばして日本横断でもまずはしたくなる。
 むりだろうな。
オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
(2007/11/09)
ジャック・ケルアック

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2008年10月18日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳(中央公論新社)
 村上春樹が訳したこの本を買ってから随分たつが、ようやく読み終わった。
 たしか新潮文庫で『華麗なるギャツビー』というタイトルで出ているときに読んだ。
 もうずっとずっと昔のことだろう。
 そのときは途中で筋がごちゃごちゃになってしまい、だけど強引に読んでしまったのであまりよいとも思えなかったように記憶している。
 今回は読んで思ったのは、ギリシャ神話みたいだ、ということだった。
 登場人物はそれほど多くないし、偶然に支配されている小説だ。
 現代小説で偶然を多用するときっと陳腐に思われる。
 しかし偶然が何もなければ単なる日常になってしまう。
 現代の小説家はその扱いに悩んでいるのだろう。
 偶然、と言ってしまうと元も子もないが、むしろこの小説ではそれが運命と呼んでいいものに昇華されている。
 運命を扱っているからギリシャ悲劇をどこか思わせる。
「偶然」を「運命」に変えてしまうのが、小説家としてのフィッツジェラルドの才能なのだろう。
 それにしても、わたしじしんがギャツビーにどこか影響されているのではないか、とふりかえって気付く。
 こんな文章を読むたびに、これは以前にこの小説を読んだから親しく感じるのか、それともむかしから思っていることなのか分からなくなる。

「ねえ、夏至の日ってずっと心待ちにしているのに、毎年いつのまにか終わってると思わない?わたしはいつも夏至の日のことを覚えておかなくちゃと思うんだけど、気がついたらもう過ぎちゃってるのよ」(p29)

「彼女にあまり多くを要求しない方がいいんじゃないかな」と僕は思いきって言ってみた。「過去を再現することなんてできないんだから」
「過去を再現できないって!」、いったい何を言うんだというふうに彼は叫んだ。「できないわけがないじゃないか!」
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
(2006/11)
スコット フィッツジェラルド村上春樹

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2008年10月12日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『名文を書かない文章講座』村田喜代子(朝日文庫)
 わたしは村田喜代子の小説を読んだことがないのだけれど、ぱらぱらと立ち読みしていたらおもしろそうだったので手に入れた。
 だいたいわたしは『文章読本』的なものが好きなのだ。
 斉藤美奈子の『文章読本さん江』までも読むほどに。
 ぱらぱらぱらぱらと読めたが、文章も歯切れがよく、参考になった。
 とくに「普遍と特殊」という章の次のような文章。
 つまり、私たちはどんな個人的な内容のものを書いても、あまねく大勢の人々の心に共感させ、ゆきわたらせねばならない、ということである。そんなの面倒だ、読んでくれる者だけでいいと言うなら書く資格はない。個人的主観と気持ちを綴っただけの文章を、何の関係もない他人が読んでくれることはないからだ。(p166)
 耳が痛いです。
名文を書かない文章講座 (朝日文庫 む 9-2)名文を書かない文章講座 (朝日文庫 む 9-2)
(2008/09/05)
村田 喜代子

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2008年10月07日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳(早川書房)
『長いお別れ』は清水俊二訳のハヤカワ文庫で大昔に読んだ。
 フィリップ・マーロウかっこいい、という記憶しかなくて、どういう筋だったかほとんどおぼえていなかった。
 ギムレットは確か出てくるよな、と思いながら。
 フィリップ・マーロウはもっとクールな探偵だと思っていた。
 しかし、関係のないことに首を突っ込み、何の得にもならないこと(むしろ損になること)ばかりを進んで行う。
 それがかっこいい。
 単に巻き込まれて、それをクールに処理するのであっても、かっこいい。
 だが、マーロウは自分の宿命みたいにどうしようもない状況に向かっていき、なんとか打開していこうとする。
 村上春樹はあとがきでこう言っている。

 チャンドラーは自我なるものを、一種のブラックボックスとして設定したのだ。蓋を開けることができない堅固な、そしてあくまで記号的な箱として。自我はたしかにそこにある。そこにあり十全に機能している。しかしあるにはあるけれど、中身は「よく分からないもの」なのだ。そしてその箱は、蓋を開けられることをとくに求めてはいない。中身を確かめられることを求めているわけでもない。そこにそれがある、ということだけが一つの共通認識としてあれば、それでいいのだ。であるから、行為が自我の性質や用法に縛られる必要はない。あるいはこうも言い換えられる。行為が自我の性質や用法に縛られていることをいちいち証明する必要はないのだ、と。それがチャンドラーの打ち立てた、物語文体におけるひとつのテーゼだった。

 小説では、自分がどうしたこうしたとひたすらぐるぐる悩み続けるものは多数ある。
 フィリップ・マーロウだってああでもない、こうでもない、と悩んでいるのにちがいない。
 しかしチャンドラーは自我は自我として存在するけれど、とりあえず括弧に入れてしまって、物語を進行させていく。その中ではっきりとは言及しないのにもかかわらず、自我がリアリティを得ていく。
 というように村上春樹のあとがきを読んだのだが、正直言ってむずかしい。
 だが、この小説にはたしかにじぶんのことをぐだぐだいううっとうしさは無縁である。 単純にハードボイルド、というにはあまりにも血が通いすぎているともいえる。
 それにしても、フィリップ・マーロウはかっこいい。
 そして最後にマーロウの年齢とわたしの年齢が同じだ、ということが分かり、まったくもってがっかりしたのである。
 もちろんこんな自分に。
ロング・グッドバイロング・グッドバイ
(2007/03/08)
レイモンド・チャンドラー

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2008年10月06日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹(新潮社)
 精神的にも肉体的にもにっちもさっちもいかない状況で、いつか読み直そうと思っていたこの本を久し振りに読んだ。
 たぶん通して読んだのは出版されてすぐに読んで以来だと思う。
 最初に読んだときは、あまりに物語の世界が深く、広いことにたじたじしながら、ただすごい、と思いながら読んだ印象だった。
 今回読んだ感想は、よくできている小説だし、今この小説を読んでおくべきだ、という勘は正しかった、ということだ。
 この小説についてはいろいろな解釈が出ているのだろうけれど、今回、わたしはコミュニケーションの難しさ、回復の方法ということを中心にしながら読んでいた。
 そうすると、以前読んだときにはよく分からなかったことがありありと分かってきた。 水、カティーサーク、井戸、予言をする人物。その他いろんなものが、一回ではなく、別のかたちで何度も何度も出てくることによって、作者はこれが重要なヒントだよ、と教えてくれるのだ。
 たくさんある村上春樹解説本でもひもといて、謎ときをしたい誘惑にも駆られたが、今のわたしにはこの小説の中に入り込み、物語を自分の中に満たす必要があったから、それはしないでおいた。
 頭ではなく、身体でこの小説を受け止めたい、とちょっとかっこつけたりしたかったのである。
 ぐったりした。
 久し振りに本を読んだ、という達成感がした。
 物語の中で主人公がなんども経験する夢精まではしなかったけれども。
 第三部は理が勝っている印象で、第二部までに較べると今のわたしにはちょっと落ちる。
 もちろんそれでも総体としてすばらしい。
 じぶんの危機を救うかも、と思われる読書でした。
 しばらくしてから解説本でも読んでみよう。
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
(1997/09)
村上 春樹

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ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)
(1997/09)
村上 春樹

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)
(1997/09)
村上 春樹

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2008年10月03日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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