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『ドストエフスキー 謎とちから』亀山郁夫(文春新書)
 著者は『カラマーゾフの兄弟』の新訳を光文社文庫から出して昨年話題となった人。
 しかし改めて書くが、この本でのわたしの試みは、ドストエフスキーを読み慣れた読者たちの感性を、少しでも生まれ変わらせたいという切なる願いに発している。知ってもらいたいこと、知らなくてはならない大切なことがいくつかある。(p9)
 前半はドストエフスキーについて知っておくべき基本的なことが書かれ、それを踏まえたうえで後半は五大長編小説を新たに読み解いていく、という構成になっている。
 後半で、たとえば『カラマーゾフの兄弟』の父殺しは誰か、というような謎とき、仮説はもちろんおもしろいのだが、私は前半の基本的な知識(私自身が何も知らなすぎたのだが)がかなりおもしろかった。
 ドストエフスキーは若い頃フーリエ主義に触れていたのだが、このフーリエの思想について私は詳しいことを知らなかった。
 しかし、何よりも私たちを驚かせるのが、性愛のあり方に対する関心である。フーリエによれば、社会悪や不協和音をもたらすのは、人間同士の自由な愛を妨げ、情念を抑圧する人間社会の仕組みである。だから彼は、肉体も欲望も喜怒哀楽も一切抑制することはしない。いや、抑制どころか、「合理的計算」によってそれらを統御し、計量化し、調整してゆくことが理想社会の誕生につながる最大の方法と考えた。よってついに、多重婚や近親相姦にいたるありとあらゆる性愛が肯定され、合理化されることになる。(p37)
 フーリエはドストエフスキーにとって深く解放的な思想だったのである。(p38)
 性愛というものがドストエフスキーにとっては重要な問題だった。
 また、サディズム、マゾヒズムはその中でも最重要な問題であったらしい、という。
 ドストエフスキー文学の「謎」の部分とは、「性」への入口と出口をふさがれた世界であり、その鬱積から、作品の持つ精神的エネルギーが生じているという事実を指摘したかったのである。(p78)
 ロシアでは1666年前後に「教会分裂」があり、「正当」と「異端」に分裂した。異端派の中に「鞭身派」(儀礼の際に互いの身体を縄などで打ち合うなどしながらエクスタシーを得る)や逆に「去勢派」(原初的なアダムとイブの神話的な楽園への回帰のためにじっさいに去勢を行う)が力を持っていった。
 その事実がドストエフスキーの性への関心と絡み合って、小説の世界に導かれたのだ、というのだ。
 どの話もほとんど知らない話であって、それを踏まえてもう一度ドストエフスキーの小説を読み直すと、まったく違う読み方ができるのに違いない、と納得されるものだった。 なお、五大小説と言われる『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』のうち、『未成年』はまだ読んだことがない。
 この本の中で『未成年』はとても魅力的に紹介されているので、ぜひ読みたくなりました。
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2008年01月31日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之訳(紀伊國屋書店)
 この本は内田樹さんのブログで知った。
http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1103.php
http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.php
 内田さんのブログがとても気持ちのいいものだったので、それをもう一度味わいたい、という気持ちで読んでみた。
 しかし内田さんも書いているとおり、とんでもなく分厚くて、しかも『イーリアス』はもとより各国の古代の歴史をひもといて証明する本で、太刀打ちができなかった、というのが正直なところだ。
 ただ、私なりにもなんとか読めて、爽快感を味わった。
「二分心」がキーワードである。
「二分心」とはなにか。
「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」(p109)
 あ、同じ部分を引用してしまいました。
 この「神」が人間社会が複雑化していく中で「意識」に変化した、というのがあまりにも大ざっぱだけどこの本が提示した仮説である。
 それは統合失調症の「幻聴」などに今でも残っているし、古代の文化、それに「イーリアス」のことばの使用法でも証明できる、とジェインズは言う。
 うーむ。どう考えても内田さんのブログのほうがうまくまとめているので、詳しくはそちらを読んでもらいたい。
 私はこの仮説を導くジェインズの手さばきがとても読ませるので、まずそれが好きだ。 そして、この仮説をけっこうまともに受け止めたい、と思う。
 意識というものが大して歴史的に古いものではない、と考えるのは、じぶんがくよくよしていたりするときに役に立つ。
 こんなふうにくよくよしている、風通しの悪い状況というのはしょせん過渡期であって、昔の人は神様が頭の中で指示を出してくれてそれに応えて動いていたんだ、そんなに考えてもしょうがないぜ、とじぶんをむりやり言い聞かせたり。
 もしくはこういう「意識」自体が歴史的なものであって、何千年後の人間は想像もつかない全く別のやり方で生きていくのかも知れない、と思ったり。
 とにかく今の私は「私」というもの=自意識がうっとうしくてしょうがないので、風穴が空いた気分なのだった。
 いずれにせよ、またいつか読みます。
 も少しまともに書けるように。
 
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
(2005/04)
ジュリアン ジェインズ

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2008年01月30日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『ナイフ投げ師』スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳(白水社)
 ミルハウザーの本は何冊か買ったが、読み通したのはこの本が最初だ。
 どうして読み通すのが難しいかというと、文章が濃密だということだろう。うまくそのリズムに入り損ねると読めない。
 しかし嵌ってしまうと脱けられない。
 柴田元幸は「訳者あとがき」でこう言っている。
 ミルハウザーを好きになることは、吸血鬼に噛まれることに似ていて、一旦その魔法に感染してしまったら、健康を取り戻すことは不可能に近い。(p277)
 ようやく、というか、残念ながら、嵌りましたね。好きになりました。
 日常を乗り越えて特殊な世界に行ってしまう人や物についての短編小説。
 特殊なことであり、それはなにかの比喩に見えるのだが、決して比喩ではない。
 つまり、かなり特殊な人間をめぐる物語が、かなり特殊な文章で語られているにもかかわらず、作者はあたかも、ほかに語るべき人間などまったくいないかのように、そしてあたかも、ほかに採るべき語り方など全くないかのように書いている。(「訳者あとがき」)
 なにかの比喩で書かれた小説など、たぶんおもしろくない。
 逆説的だが、特殊なことを特殊に書くから、たぶん普遍的になるのだろう。
 12編からなる短篇集だが、私は遊園地が発展(と読んでいいのか分からないが)するところまで行ってしまう『パラダイス・パーク』がすごすぎると思った。作りものが現実を超えてしまう。それは表題作の『ナイフ投げ師』や『新自動人形劇場』、それに百貨店が行くところまで行ってしまう『協会の夢』も同じテーマだが、リアルと悪夢の境みたいなものが今の私にはとても興味深いのである。
2008年01月24日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『となりのカフカ』池内紀(集英社新書)
 聞いたことのあるタイトルだな、と思って考えていて、ひとつはとうぜん『海辺のカフカ』なのだが、もうひとつは『となりのトトロ』だったのね。
 この本はカフカについて知るための「初級クラス」の本だという。しかし、密度が濃くて、じゅうぶんにカフカのことを知ることができる。
 カフカって、小説を読んで感じるよりずっとまともな、しかもふつうの人だったのだなあ、と思う。いろいろ悩んでいるし。
 カフカはとても優秀なサラリーマンだった。保険会社に勤めていて、よくしごとができた。
 カフカは父親とうまくいかなかった。
 カフカはオートバイやら機械が大好きだった。
 カフカは健康ランドに行っては恋に落ちていた。
 カフカは好きになった女性に、しつこく手紙を書きまくった。まるでストーカーのように。なんで返事をくれないのだ、とまで手紙を書いて。
 カフカは意外と遊び人だった。
 カフカはユダヤ人だったが、ちょうどユダヤというものがヨーロッパで特異に見られる直前に生きていた。
 カフカは終生独身だったが、女性とはけっこうつき合ったし、婚約もしたりはした。破棄したけど。小説を書きたかったから結婚を選べなかった。
 カフカは日記に小説の断片を書いた。
 この本を読み終わると、完全にカフカのことが好きになった。
 似ているなあ、文学的な情熱と才能を除けば。あと、優秀なサラリーマンであるところも違うか。
 厳密に言うとみな違う。
 だけど、ある意味とても現代的な男だったのだ。
 カフカより長生きしてしまったよ。
カフカ
となりのカフカ (光文社新書)となりのカフカ (光文社新書)
(2004/08/18)
池内 紀

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2008年01月24日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『百鬼園随筆』内田百(福武文庫)
 内田百は初めて読んだ。
 随筆というよりは短編小説という感じがする。
 借金のことばかり書いている。本人にとってはきつい話なのかもしれないが、あまりきつそうに見えない。常にユーモアを持ってじぶんのことすら見ている。わたしなどはじぶんについてはアイロニーでしか見られないのだが。
 帽子が奇妙な水色の帽子しかなくなってしまい、買い換えたい。しかし金がない。百鬼園先生こと内田百はどうしたか。
 順天堂医院の特等病室に寝ている田氏のところへ、百鬼園先生は水色の帽子をかぶったなり、つかつかと這入っていった。枕許の椅子に腰をかけ、帽子を脱いで膝の上に置いて、聞いた。
「如何です」
「経過はいい方です。手術した痕が、癒着するのを待つばかりなんだ」
「どの位かかりますか」
「早くて三週間はこうしていなければならないでしょう」
「それでも、よかったですねえ、そうして盲腸を取り去ってしまえば、四百四病のうちの一病だけは、もう罹りっこないわけですね」
「あとは四百三病か」と云って、田氏は笑いかけた顔を、急に止してしまった。笑うと腸が、切り口から覗くのかも知れない。
「今日はお見舞い旁、帽子を買いに来ました」
「帽子をどうするのです」
「貴方の帽子なら、僕の頭に合うのです。滅多に僕の頭に合うような帽子をかぶっている人はありませんよ」
「だって僕の帽子は、君そんな事を云ったって、僕のかぶるのが無くなってしまう」
「しかし、こんな水色の帽子なんかかぶっていると、人が顔を見るんです。外はもう随分寒いのですよ。病院の帽子掛けに、帽子をかけて寝ていなくてもいいではありませんか」「それはそうだけれど、出るときに帽子がなくては困る」
「出るときには、お祝いついでに、新らしいのをお買いなさい。あれはたしか、ボルサリノでしたね」と云って百鬼園先生は、隣の控室から、田氏の帽子を外して来た。
「丁度いい」
 百鬼園先生は、その帽子をかぶって、田氏の顔を見た。
「よく似合う」と病人が云った。(『百鬼園新装』)
 むちゃくちゃである。ほとんどコント。入院患者に、あんた入院しているんだから帽子なんか不要だろう、だからちょうだい、なんてすごい。
 実際にやったことなのかどうかは知らないけれど、借金話もこんなことばかり書かれている。
 ただ、わたしとしては文庫本で3ページくらいずつしかない「短章二十二篇」に含まれている部分の随筆が、ストーリーがあるものよりも文体とか余韻がすごくよかった。
 ひとりで無意味に一等車に乗る『一等車』とか髭を生やしたり剃ったりすることの話『髭』とかね。
 内田百の随筆はたぶんまだまだたくさんあるので、またぼちぼち読んでいくことにします。
百鬼園随筆 (新潮文庫)百鬼園随筆 (新潮文庫)
(2002/04)
内田 百けん

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2008年01月23日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督
 ルワンダという国がどこにあるのかも知らなかったし、もちろんルワンダ紛争のことなんか知らなかった。
 それでもこの映画は面白い。
 作り手に啓蒙しよう、という気持ちはたぶんほとんどないからだ。
 民族間の内戦により、大量虐殺まで発展する。その中で、外資系ホテルの支配人であるポール・ルセサバギナが難民としてホテルに受け入れ、救い出すという話。
 支配人のポールが頭が切れる。ユーモアを失わない。かっこいい。こういう人はどこでもリーダーになれる。
 ポールが危機的な状況をユーモアと機知を使って脱出する。これだけでじゅうぶん面白いストーリー。
 しかしもちろん虐殺についてもきちんと描かれている。人間は憎悪でここまで残酷になれるということ。決して他人事ではない話。自分だってこうなってしまうかもしれない、もしくは憎まれてしまうかもしれない。
 私は頭があまり切れない。だから最後はユーモアで勝負するしかない。もっと広い視野で見ようとする気持ち。それだけしか寛容さを勝ち得ることはできないのではないか、と思った。
  
ホテル・ルワンダ プレミアム・エディションホテル・ルワンダ プレミアム・エディション
(2006/08/25)
ドン・チードル、ソフィー・オコネドー 他

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2008年01月20日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | 映画 | Top↑ |
『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー 中川五郎訳(河出文庫)
 ブコウスキーは73歳で死んだ。この本はブコウスキーが71歳から72歳まで書いた日記だ。それまでタイプライターで執筆していたブコウスキーがMacを手にしたのを契機に日記を書き始めたのだという。
 ブコウスキーというと無頼というイメージがあったが、老人であるブコウスキーは勤勉である。
 競馬があれば必ず競馬場に車で通い、帰ってきてからMacに向かって執筆する。執筆するときにはラジオでクラシック音楽を流しながらでないと書けない。
 家には妻と九匹の猫がいて、猫がたまにMacにおしっこをかけて故障したりする。
 年を取ってから始めたパソコンなのに、ブコウスキーはそれがないともう書けない。
 私は二階に上がって、コンピューターの前に座った。私の新しい慰め相手だ。コンピュータを手に入れてからというもの、私の書くものはパワーも分量も倍増した。魔法の代物だ。ほとんどの人がテレビの前に座り込むように、私はコンピュータの前に座り込む。(p60)
 だいたい、競馬が好きな人、というだけで少し信用してしまう。ギャンブルをやらない人のほうがたぶん信用できるはずなんだが、競馬をやることでなにかのバランスを取ろうとする気持ちがよく分かる。
 こんなじいさんになりたい、というよりは、も少し早くこんな人間になりたいものだ。 付き合いを少しずつ減らしていき、文章を書くことで自分を解放する。
 毎日自分の頭で考えて生き、ついでに競馬をする。たまに酒を飲む。
死をポケットに入れて死をポケットに入れて
(2002/01)
チャールズ・ブコウスキー、中川 五郎 他

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2008年01月19日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『バブルへGO タイムマシンはドラム式』馬場康夫監督
 これはくだらないけど面白かったなあ。
 何が面白かったのか考えてみた。
・タイムスリップものが好き。『バックトゥザフューチャー』や『時をかける少女』って好きなんです。『バックトゥ』っぽいシーンも満載でおもしろい。タイムスリップについてはいろいろパラドクスがありむずかしいのだが、この映画に関してはなにも考えなくていい。考えてはいけない。
・バブル時に青春時代を送っていた。といいつつ、ディスコなんかに行ったことはないが、物欲とかがバブル時に刷り込まれている感がある。いいかげんに生きていた(現在もだが)のは、時代のせいだったのかもしれない、ということにしておこう。
・阿部寛が好き。好きなんだよねえ。基本的にテレビドラマを見ない私だが、フジテレビの『結婚できない男』の再放送を途中から見て阿部ちゃんに嵌りました。かっこよくて、まじめなのに面白い、という俳優はなかなかいない。
・よく作り込まれている。だいたい、バブル期に馬場監督の『私をスキーに連れてって』を見ておもしれー、と思ったもんだが(当時あんまり映画を見てなかったせいもあるけど)、きちんと脚本が作られているな、と思う。
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 スタンダード・エディションバブルへGO!! タイムマシンはドラム式 スタンダード・エディション
(2007/08/17)
馬場康夫

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2008年01月19日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | 映画 | Top↑ |
『間宮兄弟』森田芳光監督
 録画しておいた『間宮兄弟』を見た。
 テレビの連ドラにすれば良かったんじゃないかな、と思った。
 ファンタジーでもないし、かといって身に染みる話でもない。
 原作を読んでいないけど、愛だの恋だのの要素を表向き上完全に排除してしまったほうがすてきな映画になったのではないか、という気がした。
 愛だの恋だのの要素がない部分、つまり、間宮兄弟だけでやっている部分はとても楽しかったので。
間宮兄弟(通常版)間宮兄弟(通常版)
(2006/10/20)
佐々木蔵之介、塚地武雅 他

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2008年01月17日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | 映画 | Top↑ |
『Takeshi's』北野武監督
 テレビでやっていたのを録画して見た。
 スターのビートたけしと、コンビニで働きながら芝居のオーディションを受ける北野武のふたりの話。
 構造についてはもう一度見直してきちんと整理しないとよく分からない。
 頭が悪いので。
 ただ、整理してみなくてもいいような映画であるかもしれない。
 私の好きな「夢」の映画だから。
 ずうっと夢が連なってできている映画。
 だから構造がしっかりしているようで、実はつじつまが合わないのかもしれない。
 それはそれでいいのではないか。
 たけしが自分にあるどうしようもない部分をそのまま映画にしてしまったようなものなのだろうか。
 どうしようもない、というのは、まさしく「くず」みたいなものでもあるし、いやな気持ちでもあるし、かたちにしづらい思いみたいなもの。
 それを映画にすることで生きるためのバランスを取っているように見える。
 それを映画として見せられる私は、意外とすかっとした気分になったのだ。
 夢の映画が好きだからだけかも知れないけど。
 
2008年01月14日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | 映画 | Top↑ |
『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』松岡正剛(春秋社)
『謎とき村上春樹』石原千秋(光文社新書)
『日本の行く道』橋本治(集英社新書)
 年末年始でとびとびに上記の本を読み、さらにあいだにはヘミングウェイの短篇集などを拾い読みしたりしていたのだが、なんだかまともな文章を書ける気がしなかったので放置してしまいました。
 松岡正剛と橋本治はたぶん、同じことを言おうとしているように思いました。今の日本の行き詰まりをどう見直したらいいのか、ということ。それは歴史をきちんと見直さないといけないよ、と言うことだと思います。
 石原千秋の本は、なかでも触れているように江川卓の『謎とき罪と罰』などの路線で行っていて、他の春樹本よりずっと面白いものでした。
 特に『ノルウェイの森』と夏目漱石『こころ』の対比。「ホモソーシャル」をキーワードにして、女性が本来結ばれるべき男性ではない別の男性に「誤配」されることにより恋愛が生まれ、恋愛小説が成り立っているという部分。他の小説やら現実やらを読み直すことができそうに思われました。
 いずれにせよ、またきちんと書ければ書きたいと思います。
 とりあえず備忘まで。
誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義
(2007/12/20)
松岡 正剛

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謎とき村上春樹 (光文社新書 (329))謎とき村上春樹 (光文社新書 (329))
(2007/12/13)
石原 千秋

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日本の行く道 (集英社新書 423C) (集英社新書 423C)日本の行く道 (集英社新書 423C) (集英社新書 423C)
(2007/12/14)
橋本 治

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2008年01月13日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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