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『ガラスの靴』安岡章太郎(講談社文芸文庫『ガラスの靴 悪い仲間』所収)
 村上春樹『若い読者のための短篇案内』で紹介されていた作品。
 あらすじは同書で触れられていたけれども、作品を読んでみると、明晰な文体で書かれた切迫する内容に驚く。夏休みという限られた時間内での「僕」と「悦子」の恋愛には結びつかない遊戯。そしてあっけなく終わる二人の関係。寓話と言っていいのか。普遍的な物語であるように思われた。
 夏休みが終わり、悦子が去り、「僕」は勤め先の猟銃店に戻る。

 N猟銃店の一切は、以前と何の変りもない。ぼくにはそれが不思議だった。今は僕は、ほとんど居眠りばかりしている。もう何もする気もしなくなった。
 僕は、うつらうつらしながら眼をあけて、ふと机の上の電話器が気になる。僕はガバと起きなおって、いきなり受話器を耳にあてる。
「・・・・・・・・・・・・」
 何もきこえはしない。しかし僕は、それでも受話器をはなさない。耳たぶにこすりつけてジッと待つ。するとやがて、風にゆられて電線のふれあうようなコーンというかん高い物音が、かすかに耳の底をくすぐる。それはむろん、言葉ではない。しかし、だんだんに高まるその音は、声のようではある。いったいそれは、僕に何をささやこうとするのか。
 僕はいつまでも受話器をはなさない。ダマされていることの面白さに駆られながら。(p32)

エンディングは失われたものへのつながりを求めている象徴に思える。と同時に、村上春樹『スプートニクの恋人』の最後の部分とつながってくるようだ。

 そして唐突に電話が切れた。ぼくは受話器を手にしたまま、長い間眺めている。受話器という物体そのものがひとつの重要なメッセージであるみたいに。その色やかたちに何か特別な意味が込められているみたいに。それから思いなおして、受話器をもとに戻す。ぼくはベッドの上に身を起こし、もう一度電話のベルが鳴るのを待ちつづける。壁にもたれ、目の前の空間の一点に焦点をあわせ、ゆっくりと音のない呼吸をつづける。時間と時間のつなぎ目を確認しつづける。ベルはなかなか鳴りださない。約束のない沈黙がいつまでも空間を満たしている。しかしぼくには準備ができている。ぼくはどこにでも行くことができる。(『スプートニクの恋人』(p307))

失われた者と残された者、お互いがつながりを求めつづけること。つながれない、ということからしかつながることへの道が通じないこと。オカルトみたいだけれど、小説の探し続ける大きな問題のひとつはたぶんそこにある。そしてそんなことがいったい可能なのか、知りたくて私は小説を読みつづけている。







ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫) ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)
安岡 章太郎 (1989/08)
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2007年11月25日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
『千年の祈り』イーユン・リー(篠森ゆりこ訳 新潮社)
 11月18日の記事で著者については紹介した。
 そのあと、ほんとうにじっくりこの短篇集を読み続けた。小説の力を感じた。そのうえ、自分の生き方のいい加減さが恥ずかしくなる。 登場してくる人たちは、みんな何かしらうまくいってない。家族とも、恋人ともうまくいってない。うまくいかないのは運のせいだったり、国のせいだったり、いろいろだけれど何よりも他の人たちとうまくコミュニケーションをとれないのが原因のように思える。もっとうまくできそうなのに、結局他の人と通じ合うことができなくて、傷つけたり、傷つけられたりして状況が悪化していく。
『市場の約束』の主人公三三(サンサン)は32歳の女性の教師。かつて、天安門事件のせいでアメリカへ行く夢を断たれた女ともだちのために、三三が子供の頃からずっとつき合い、結婚を約束していた男、土と偽装結婚させて出国させる計画を立てた。そのあと男はアメリカで離婚し、中国に戻ってきて三三と結婚する、という計画になっていたのに、アメリカに行った二人はそのまま結婚してしまい、三三は捨てられてしまう。

 土が出発するまでにセックスしておくべきだということに、三三は気づかなかった。実のところ土は求めてきたのだが、拒んだのだ。大学の授業で『恋する女たち』を読んだことを思い出したのである。その物語のある部分が、ずっと心に引っかかっていた。登場する姉妹のうちのひとりが、戦争へ行く前の恋人と寝るのをことわる。絶体絶命のときに女が欲しくなっては行けないと思って。でも土は戦争に行くのではなく、別の女と結婚生活を送るのだった。薄いドアをへだてただけのおなじ部屋で、美しい女のからだが食べ、眠り、おしっこをし、月経を迎えているのに、男が恋をしないでいられるわけがない。
 結婚生活を続けるつもりだという短い手紙を最後に、二人からの便りは絶えた。(p119)

たとえセックスしていたとしてもだめだったのかもしれないが、三三はやはりうまく生きられず、それをずっと心に抱えつづけて生きている。
 こんなふうに登場人物の誰もがみんなうまくいかないで、躓きながらそれでも生きている。
 しかし、読んでいるうちになんでもうまくいっている人の方がかえって珍しいんじゃないかな、という気になってくる。人間の初期設定は、コミュニケーションを含めて何もうまくいかないようにできているのかもしれない。ただ、それを抱えてどうやって生きていくのか、自分の人生にどうやって向き合っていくのか、とこの小説を読んでいると考える。
 私は人のせいばかりにしているなあ、と思う。人のせいにしても、何も解決はしない。あきらめるのではなくて、うまくいかないことから眼をそらさずに向き合うこと。それはとても気高い行為なんだ、ということが実感されてくる。

 三三は駅で男を見かける。「十元で一回、私の身体の好きなところを切ってよい。一回でわたしが死んだら金はいらない」と自分の指を切って段ボールに字を書いた男だ。誰もが新しい物乞いだ、と思う。三三の母親(煮卵を作っている)が、金だけ差し出すが、「おれは乞食じゃありません」と男は断り、母親の足下に札を返す。

 その札を三三がひろい、男のそばへ歩いていく。男が彼女を見上げ、彼女はその目を見かえす。男は黙ってナイフを彼女の手に乗せる。三三は男の身体をじっくりながめる。なめらかな肌は日に焼けていて、傷口から静かに血が流れている。まず一本の指で上腕に触れ、軽く押してみて見当をつけてから、三三は指先を肩へ這わす。傷口の肉をなぞると、男は少しふるえる。
「ちょっと。おまえ正気かい」母親の声だ。
 優しく愛撫するような指の下で、男の筋肉がほぐれる。やっと会えた。何年さがしてもいなかった。約束とは何かを知っている人。気がおかしいと世間は思うかも知れないけれど、私たちはもう孤独じゃない。これからはずっとおたがいがいる。これが人生の約束だ。これが醍醐味だ。
「心配しないで、母さん」母親に笑顔を向け、それから男の肩にナイフをあてる。そして、切る。愛とやさしさをこめて、肉をゆっくりとひらいていく。(p130)

自分の人生のどうしようもなさに目をそらさずに生きてきた人こそが、約束とは何かを知っている人に会える。私はどうなのか。常に嘘をついて逃げてこなかったか。うまくいくことがあたりまえだとおもっていなかったか。うまくいかないことから逃げていなかったか。
 今まできっと私は逃げていた。だけどもう逃げないよ。
 そう、思いました。







千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS) 千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS)
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2007年11月25日 | Comment:0 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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